粘り強い走りを続け、幾度となく入賞を果たす
この年のドライバーラインナップは前年と変わらず、加藤寛規と光貞秀俊のコンビ。車両規則が変更となったことを受けて、NSXはエンジンの搭載位置を縦置きに変更、ホンダ勢は大きく改良されたマシンを投入して、2003年シーズンに臨むこととなった。
開幕戦TIでは10位スタートから着実にポジションを上げ、最終的には7位入賞を果たし、NSX勢は全車完走となった。
第2戦の舞台は富士、いつものように500kmという長丁場の戦いの中、14番グリッドという後方スタートにも関わらず、着実に周回を重ね、最終的には7位入賞となった。
第3戦菅生ではレース終盤まで上位を走行していたものの、1コーナーで他車に追突されて、リタイアとなってしまう。マレーシアで開催される予定だった第4戦はSARS(新型肺炎)の影響により、富士での代替レースへと振り替えられ、あいにくの雨の中のレースで総合17位となった。続く第5戦も富士スピードウェイでの開催となったが、流れに乗れず、13位でレースを終えた。
ツインリンクもてぎでの第6戦では決勝レースの第2ドライバーを務めた光貞が健闘、最終ラップまで3位争いを繰り広げたが、最終的には5位入賞でレースを終えた。
第7戦オートポリスではまずまずの速さを見せていたものの、決勝レースで接触によるペナルティが課されてしまい、最終的には9位となった。
鈴鹿サーキットでの最終戦では予選9位のポジションから追い上げて、5位入賞を果たした。